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二十歳の挑戦の記録

mory

旅行記(8/25):能登半島の白砂の浜辺

 風は既に秋を告げていました。そして、私の心も既にふる里へ向かっていました。急ぐ心は、能登半島を廻ることをあきらめさせていました。サイクリングする人影もめっきり少なくなっていましたが、そんな中で同じ方向に走る一人の青年に出会いました。ともに休息を取ったりする内に徐々に親しくなりましたが、私は今までのように積極的に身近になろうとはしませんでした。何故なら彼は能登半島を廻る予定で、私は能登に入る事を断念していたからです。それでも「お兄ちゃん、一緒に能登をまわろうよ。」と誘われると 私の心の中のもう一人の自分が「日本地図を書く旅じゃないのか。」と問いかけて来るのでした。北陸道を一路北進するうちに能登に向かう国道160号線と北の故郷へ向かう国道8号線との交差点に差し掛かりました。その時、私は彼よりも早く能登へ向かう西の道にカーブを切っていました。そして、そこからまた一つの新しいドラマが始まったのです。
 彼は大阪の高校生、河崎進君と言いました。ただ走っているだけなのに いつも 誰とでも なぜか 兄弟のように、幼なじみのように、同級生のように仲良くなって行きました。日差しは真夏の強さではなく、また、その高さも南国のように真上から照りつけるのではなく優しさを感じさせるようになっていました。海もまた、能登の入り江は波が穏やかで透明度の高い水面の白砂青松の海岸線が続いていました。七尾を過ぎて珠洲市川浦町の浜辺に差し掛かると人影もなく明るい空、青い海、白い砂浜をすべて独占できる舞台が待っていました。河崎君のテントを砂浜に立て、私の飯盒でご飯を炊き始めると近所の子供達が珍しそうに集まって来ました。その子達に縄結びを教えたりキャンプの楽しさを話している内に日も暮れかかり、子供達が「テントに寝たことがないから寝てみたい。」と言い出しました。「お父さん、お母さんが泊まってもいいよと許して呉れるなら泊まってもいいよ。」と話すと子供達は一斉に家の親の元に駆けて行きました。そして、5人の子供が野営することになりました。その夜、泊まれない女の子や幼い子も含めて10数人でキャンプファイヤーを行いました。子供達の自己紹介や、夏休みの話、学校の話、二人の自転車旅行の話、ボーイスカウトの話、星座の話で夜は暮れて行きました。海が蛍のように光っていました。泊まった子供達は興奮して遅くまで眠れないようでした。

恋路が浜の海岸にて
 次の日、朝早く一人のお母さんが「子供達が大変お世話になりました。」とお礼に大きな西瓜を持って来ました。そこで早速、朝食を食べた後にスイカ割り大会をすることにしました。スイカを中心にしてみんなで大きな輪になって砂に座りました。小さい子から順番に 目隠しをして 丸太ん棒を大上段に構えてスイカ割りに挑戦しました。あらぬ方向に歩いて行ったり、「右、左、そこだ!」と大にぎわいになりました。砂を思い切り叩いては皆で大笑いをしてましたが、3巡目で私が見事に割ることになり、河崎君がその瞬間を写真で撮ってくれました。敷物を敷いてはいましたが、砂に飛び散って食べられない状態になりました。「海が綺麗だから海で洗えば食べられる。」と言って割れた西瓜を海に放り投げて浮いてるかけらをみんなで食べました。塩味が利いていてとても美味しく頂きました。人生の中で一番おいしい西瓜だったと思っています。やがて、別れの時が近づくと子供達がお礼にと、綺麗な桜貝や白いアンモナイトの化石のような形の貝をお土産に持ってい来ました。大変有り難く頂きましたが、白い貝は旅行の最中に壊れてしまいました。でも、その貝の形と子供達の白い歯がのぞく嬉しそうな笑顔は今でも脳裏に刻まれています。河崎君は輪島へ、私は能登金剛へ向かうことになり、固い握手をして別れを惜しみました。

透き通る海にスイカを浮かべほおばる